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難関でした。ドラクエ2の思い出 数年越しでクリアした話

ドラゴンクエスト2との思い出はこんな感じでした。

小学生のころに挑戦していた

難易度が高すぎた

向き合うのに苦労した

という感じで個人的には

『幼少期でたちはだかった難関のひとつ』
といっても過言ではありませんでした。

この記事について

  • ドラクエ2の難しさがいろんな意味でわかる

私が数年越しでクリアした
ドラゴンクエスト2(DQ2)に
苦闘しながらも向き合ったお話を紹介します。

ドラクエ2との思い出の出会い

羽のついた生き物

ドラゴンクエスト2との
出会いからクリア(解放)までの
エピソード紹介となります。

当時はファミリーコンピューターが最先端だった

まだ小学生の低学年のころの
エピソードになります。

当時はファミリーコンピューターが
最先端のゲーム機として君臨していました。

ファミコンといえば
「スーパーマリオブラザーズ」をプレイしたくて
親に「ファミコン買って買って」と
ねだりまくっていました。

友だちの家に遊びにいったときにロールプレイングゲームと出会う

友達の家へ遊びに行った際に
友達のお兄さんが
スーパーマリオとは全然違うゲームを
していたのが目にとまりました。

見たことも無いゲームだったので目をうばわれていた

ゲームキャラは
真正面を向いたまま
上下左右に歩行していたのも
気にならなかった程の

  • 「新しさ」
  • 「得体のしれない最先端なもの」

といった印象をうけつつ、
そのプレイ画面にくぎづけでした。

このときが
ドラゴンクエストとの
最初の出会い
でした。

それから1年後。やっとファミコンをゲットした

ロールプレイングゲームと出会ってから
1年近くが立ちました。

やっとファミリーコンピューターを
親に買ってもらうことになり、
スーパーマリオブラザーズもゲットして
エンジョイしていました。

ファミコンショップのショーケースを見てるだけで心が満たされていた

その後ショッピングセンター
(今でいうイオンみたいなポジションの店)
に行くと、
親が買い物をしている時は
決まって一人でファミコン売り場に
向かっていました。

ガラスの中の
ファミコンソフトを
ただただ見ているだけなのです。

とりあえずファミコンソフトをネダる少年だった

親の買い物が終わって
私をファミコンコーナーまで迎えに来た際も
「買ってくれ買ってくれ」とだだをコネ、
最終的には
親にひっぱりだされ
ファミコンショップを後にすることも
多々ありました。

定員も「やれやれな子どもだな」位の
冷ややかな視線を私に向けていたのを
思い出します。

誕生日プレゼントで念願のドラクエをプレゼントされたが。。

その年の誕生日に
ドラクエを親からプレゼントされました。

カセットをファミコン本体につっこんで
電源いれプレイしはじめた時でした。

ここで違和感を感じました。

ドラクエ1ではなくドラクエ2だった

1年くらい前に
友達の家で見ていたドラクエと
ちょっと違うのです。

どうやら私がプレゼントされたのは
ドラクエ1ではなくドラクエ2でした。

記憶にあるゲーム画面の感じと
違うので全くプレイが進みません。

結果、
ほぼ1か月以上は放置していました。

最初から「もよもと」を使用してしまった失敗談

造形物

小学校の友達から
ドラクエ2の復活の呪文を入手し
楽にゲームを進めることができる事を
しりました。

復活の呪文

ゆうていみやおうきむこうほりいゆうじとりやまあきらぺぺぺぺ・・・

この復活の呪文で
ゲームスタートすると
主役のキャラクターが
「もよもと」という名前になってしまうものの
レベル48からスタートすることができます。

プレイを続けられなかった

そしてこのLv48 もよもと氏で
プレイ開始することとなった私ですが。

ムーンブルク王女(3人目のプレイキャラクター)を
仲間にした後位で
ドラクエ2から離れていました。

ドラクエ2をやめた理由は主人公の名前

「もよもと」という名前に何故か限界を感じていた

小学生がロープレをする楽しみの一つとして、
主役キャラの名前を自分自身の名前にしたい。

といった願望が少なからずあるはずで、
私はその願望を捨てきれなかったのです。

通常スタートで再スタートしたけど挫折

それからまた1年くらい過ぎ
学年もあがった時に、
もう一度ドラクエ2に向き合おうと
思ったタイミングがありました。

その時は、
もちろん「Lv48 もよもと」ではなく、
私自身の名前を主役キャラにつけて
プレイを再開しました。

しかし、
船を手に入れたあたりで
またもやドラクエ2から離れました。

ドラクエ2をやめた理由:2回目

船ゲットしたけどどこに行けばいいのか皆無(路頭に迷った)

理由は簡単でした。

ロープレをする上で
町の人の会話(ヒントとなるメッセージ)を
まる無視していたからでした。

村人の会話を理解できなかった。というかすっとばしていた

というよりも、
文章やストーリーをそっちのけで、
ひたすらに長い会話は
Aボタン連打で切り抜けていた代償が、
船を手に入れた後あたりで
どっと襲いかかってきたのです。

ゲームを終わるときに
メモ書きしていた復活の呪文の長さに
文字関連はおなかいっぱいに
なっていたんだと思います。

二十歳前後でプレイ再開

屋根の上の造形物

それから十数年過ぎ
大学生している時に、
スーファミ版でドラクエ1・2が
売っていることをしりました。

チャンスだとおもいました。

決着をつけるべくファミコンショップにかけこむ

小学生の時、
断念したドラクエ2に加えて
お友達のお兄さんがプレイしていた
ドラクエ1までもプレイできてしまうなんて、
お得以外の何物でもない。

といった認識でした。

すぐにスーファミ版ドラクエ1・2を
購入しにいきました。

スーファミ版のドラクエ1・2は至れり尽くせりのシステムだった

復活の呪文が廃止され
「セーブデータ」でプレイ再開が
可能になっていた事は、
うれしくもあり、
どこかもの寂しさも感じました。

とはいえ、
ストーリーをぐんぐん進めることができました。

ドラクエ2ってこんな大冒険だったんだ!
なんて深みにはまりつつも
4,5日でクリアしました。

意外とあっけないものでした。
(プレイ時間1日10時間はいってました。)

立ちはだかっていた難関をあっけなく突破できてしまった

小学校のころ、
巨大な壁として立ちはだかった
ファミコン版ドラクエ2のクリアはできなかったものの、
「それも一興」と
自分をおさめていたのを思い出します。

スーファミ版とはいえ
難関と感じていたドラクエ2を
足掛けではあるが十数年もかけてクリアしたことで、
私の中で何かが解き放たれた思いがありました。

よくわからない感覚ですが
前に進んだ感だったり
初日の出をリアルで見る感じ
にも近かったです。

あとがき

ドラクエ2は
私に立ちはだかった難関の一つでした。

それとともに、
今となっては
難関を突破できたことによる
達成感を味合う事ができた
貴重な機会となりました。

ドラクエ2は数年越しで向き合った
数少ない思い入れのあるゲームとして
感謝しています。

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