職場で久々に会った同僚が
やけに愚痴ばかり
言うようになっていました。
コロナ禍のなかで
勤め先の業務形態が
急速にリモート化した
というパターンは
身近なできごとではないでしょうか。
うちの会社は
4月初頭あたりから
ほぼ強制的に
リモート勤務が普及しました。
その後、
5月下旬までの間は
ほぼリモート勤務でした。
そうなると
当然のこと
同僚と直接会う機会は
減りました。
その理由として、
職場における3割以上の出社制限
同時に出社可能なメンバーを
グルーピングして密を避ける
決められた日程での厳格な出社規制
ざっとあげるとこのような感じです。
コミュニケーションといえば
- Web会議で聞こえる相手の音声のみ
- チャット上の文章
ぐらいなものです。
とはいえ、
それらで雑談まじりの会話は
していたので
特にコミュに関する
不満や違和感は
感じなかったのも事実でした。
さらに
ここ最近の『出社or在宅』の考え方が柔軟になり
グループ間の局面的なメンバー入れ替え
等が加味されたこともあり
異なるグループの人間と
職場で会う機会も
ちらほらでてきた
てな感じです。
前置きが長くなりました。
久々に対面することができた
親しい同僚ですが、
ちょっと雰囲気が変わったというか
妙に愚痴っぽくなっていたと
感じました。
そこで感じたことや、
今後、その同僚と
どう向き合うべきか
ということを整理します。
とつぜん愚痴っぽくなった親しい知人を前にしたときに考えるべきこと
よく俗世間的には
人の愚痴をこぼすヤツなんて
放っておけ
そんなヤツと関わるだけ
時間の消耗。(無駄無駄)
悪いオーラが移ってしまうぞ。
距離をおけ。
みたいな
よくありがちなアドバイスも
あるかもしれません。
ですがそれは
すべてのパターンでは
適応できないと思う。
テンプレ的なアドバイスで全部解決できると思わないでほしい
さくっと勢いで導き出した
心無い答えというのは
- 『すごく効率的』
- 『仕事できる人感』
のような錯覚に
おちいってしまいます。
でもこれって
ちょっと
『浅はかな考え』だと
思います。
アドバイスを
受ける側の状況を
深く組みとっているとは
思えないんです。
本当に相手との関係性が苦痛なら有りだとは思う
同僚との関係性において
こんな状態になっている場合は
以下の方向で進めるのも
やむを得ないかもしれません。
嫌な相手との関係性による
苦痛から
逃げたいけど
身動きがとれなくて
困っている状況
上記のようなケースであれば
迷わず距離を取った方がいい。
と言うのもわかります。
きっと
アドバイスの受け手にとっては
手を救い上げるような
救済になるんだと思う。
答えを急いでテンプレに走らない
でも
今回のパターンは
これとは合致せず
昔から親しい関係性を
築いてきた同僚です。
そんな簡単に
不要な物を
切り捨てるような
対応なんでできません。
もし
そうしてしまったら
- 自分自身に落胆することになる
- これまでの良い思い出まで
否定する感覚で
押しつぶされそう
決して
健やかな気持ちに
なれるような気が
しないと思ってます。
なんでもサクサク裁けるのがいいってものじゃ無い
大切だと思う知人との
このような場合は
効率性に逃げるような
よく世間で
耳に入ってくる
テンプレート語録は
当てはめないべきだと思います。
答えを急ぐ必要が
ないと思っているからです。
そんなに軽い関係では
なかったはずですし。
今後の交友関係について答えを急ごうとしている人へ
この記事を書こうと思った理由は
一度じっくり考えてみるのも
いいと思ったから
急ぐことで
判断を誤らないでほしい
この2つを意識したいと
思ったからです。
一度じっくり考えてみるのもいいと思ったから
- 親しい知人は
なんでとつぜん愚痴ってきたんだ? - もともと他人のことを愚痴る人だと
ぼくが知らなかっただけ? - リモートワーク期間でなにかあった?
- リモートの疲れが限界にきた?
- たまたま体調が悪すぎるの?
だいぶ考えこみました。
結局のところ、
後々思い返すときに
感じていた『違和感』の正体は
わからずじまいです。
ですが1つ言える事とすれば、
自分自身に対して
落胆することのない方向に
進みたと思っています。
急ぐことで判断を誤らないでほしい
そして
「相手に何があったのか?」
なんて考えているうちに
ばっさり関係性を
切るなんてありえない。
という思いが
確実に芽生えてきました。
そうです
テンプレート的なごろくで
判断をしてしまおうとしていたのは
自分自身のことでした。
一般論に流されてその親しい知人をばっさり切らないでほしい
世の中のせいには
したくないです。
しかしこの世の中は
タイムサイクルが早すぎると
感じています。
- 情報が溢れすぎている
- そしてそれにしがみつこうと
焦る気持ちが止まらない
このような感覚で
日々過ごしていくうちに
あたかも情報という渦に
呑み込まれてしまう感覚に
おちいってしまっていました。
他人のタイム感に溺れるな
そうなってくると、
次々とあふれかえっている情報
に振り回され
それにあらがおうとする動作で
いっぱいいっぱいになり
自分自身のペースを見失う
こうなる為に
日々生きているわけではないと
わかりつつも
大切なものを
意図も容易く
ゴミのような感覚で
取り扱ってしまう感覚に
なってしまうんだと思います。
『人は人』であって『自分は自分』
じゃあどうすればいいの?
ってところです。
置いてけぼりになっても
全然問題ないじゃないですか。
結局、『人は人』であって
『自分は自分』だという気持ちを
きちんと握っていくことが
大切だと思いました。
人間関係において判断を誤った効率房の行く末
そうしないと
もしかしたら
- 焦った判断で親しい知人との
関係性も終わり - 自分自身に落胆し
- 効率を求めていたにも関わらず
行きつく先は心の貧困
そんな状況へ
たどり着いてしまうのではと
危惧しました。
その先には
どうしようもない『物寂しさ』しか
残らないのではないかと
思っています。
考えるだけでも
嫌です。
愚痴を言う人の責任だと思うな
そして
このパターンで言えることは
とつぜん愚痴を言いだした
親しい知人が『悪』ではなく
それを聞いた側の考え方が
災いをもたらしてしまうという罠
だと思いました。
今回のパターンでいうと、
意外と余裕がなかった
自分自身の効率房的な思考です。
ここに危険ポイントが
あったといえます。