緊急事態宣言が
解除された今の方が
コロナ感染数が多いですよね。
身近にいる数人が
飲みのお誘いを
かけてくるから
色々と不安です。
身近な親しい人との
『コロナに対する考え方』が
違っていると思ってます。
中々自身の思いが
相手に理解されず
モヤモヤしています。
このモヤモヤ
どうしたらいいですか?
このような
思いをはせる局面に
遭遇する機会もあるのでは。
キッカケは
『コロナに対する考え方』だとしても
要は、
極端な危機的な場面において
親しい知人との
意見の相違を感じ
少しコミュニケーションの
過不足が生じているのだと
思います。
こういった場合に
どうすれば良いのか、
考えを整理しました。
今回のテーマは
『コロナに対する考え方の違い』に
特化します。
逆にいえば
- 経済活動の復旧の重要性
- コロナ感染防止対策
等は
深掘りするつもりは
ございません。
あくまでも、
親しい知人との
考え方の相違について
どう対応すべきかについて
整理していきます。
コロナに対する考え方の違いはありますよね【ガードが固い側の見解】
新型コロナウィルスに関しては
個々人の考え方の
ふり幅が大きいものに
なっていると思います。
人それぞれの感覚
こんな感覚ってありますよね。
人によっては
重大なリスクとなる。
みたいに用心する感覚
そこには
リスクが大きいから
絶対に感染したくない
という感情が大きいと思います。
また、別の感覚では
人体へのリスクは
そこまで重くないという感覚
感染しても
重篤にならないなら
経済復旧の為に人力を尽くす。
もしくは
リスクが少ないなら
あまり気にしない。
こんな極端な感覚に
分かれてしまう状況だと
思っています。
繊細な局面だからこそそれぞれのベクトルが大きくなる
繊細な局面だから
それぞれの感覚の
ベクトルの大きさは
余計に広がってしまうんだと思います。
そもそも
人それぞれ別の感覚を
もっているので
考え方が違うことは
おおいにある。
例えば、
お互いに好きな芸人が違う時は
笑って済ませるような感覚
かもしれません。
ですが、
今回のコロナは
より繊細に感情が入るので
軽い感覚では
済まされない状況。
いろんな人
誰一人として
同じ感覚をもった
コピー人間ではない。
それぞれの考え方があって
当たり前という認識が
欠如してしまう事で
- 人との考え方が
異なることへの不安 - 孤独感
- 人に対して自身の考え方を
押し付ける行動
こんな事に
なってしまうと思いました。
相手へのマイナス感情は『自身の悩み』になるだけ
その結果、
考え方が違う人へ
マイナスな印象を
もってしまうことも
あるわけです。
最悪は、
その負の感情を
相手へアウトプットしてしまうことです。
「本当は傷つけるつもりは
なかったのに・・・」
後々に
反省してもしきれない状況に
なってしまいます。
『人それぞれ』という感覚があるなら
極端な思想を
押し付けるような行動で
相手にアウトプットする必要が
ないです。
そうする事で
後に自分自身へ
『悩み』として
跳ね返ってきてしまうかもしれない・・・
そうして
後々悩み苦しむのは
やっぱり嫌です。
悩むくらいなら、悩まなくていい
じゃあどうすればいいの?
って事になります。
こう思います。
相手と自身の感覚は違って当たり前
ということは
この世にいろんな考え方が
あるのが当たり前
そして
その事実を受け止める
すごくナチュラルだと
改めて思いました。
考え方が相手に伝わらなかったとしても絶望しないでほしい
考え方が
人それぞれという事は
自身の考え方が
相手へ伝わらないことも
あるという事です。
絶望する必要なんて
これっぽっちもないですね。
じゃあどうしよう?
ってことですが。
自分のできることを
ひたむきにやるだけだと思いました。
少なくとも
相手にたいして
負の感情をぶつけるなんて
するべきではないなと。
相手におしつけずコロナ対策を実施するのみ
個人的には、
コロナ感染を
可能な限り避けたい派です。
- よって飲み会のお誘いも
お断りしますし - ソーシャルディスタンスにも
気をつけてます
その目的は
家族への感染を
可能な限り防ぎたいと
思っているからです。
あるがままを相手に伝える
とはいえ、親しい知人が
「たまには飲み会もいいじゃない?」
と、お誘いしてくれることに対しても
嫌悪感を持つ必要も
ないと思っています。
自分自身が
考えていることを告げ
丁重にお断りを入れ
話を続けるのみです。
さいごに
結局のところ
コロナにたいして現時点では
確信をもてる正解の行動って
わかりません。
ですが、
コロナに関して
考え方の違う相手等々に対し
反対派思想の
強要をする事だけは
不正解だと感じました。
いろいろと整理して
それを認識するに
至ることができました。